幸脇 良直 初段(岐阜 太田道場)
〜2010年12月12日取得〜

 この度は昇段審査を受けさせていただき、ありがとうございました。
私は中学校、高校と帰宅部に所属し、部活で汗を流す同級生を見て、「なんでわざわざ苦しい思いをするのだろう?」としか思っていませんでした。
当然、その後社会に出て、自分の情けなさ、無力さ、世の中を甘く見ていた自分のみっともなさを痛いほど思い知らされました。

 空手をはじめたのは21歳の時でした。タウンページに載っていた、あちこちの空手道場に上から順に電話をして、最初に電話が繋がった道場が極真会館でした。
格闘技にはまったく興味がなかった私は、直接打撃とか、寸止めとか、極真会館の名前も全く知らないまま入門しました。
ただ、みっともない自分を変えたい、強くなりたい、死んでもいいから力が欲しい、とそれだけでした。

道場を見学するために恵那道場に行った日のこと、後日初めて中津川道場で稽古に参加したときは道着もまだ渡されてなかったので、Tシャツにジーンズで稽古して、汗でぐしゃぐしゃになったこと、もう13年前のことですが、鮮明に覚えています。
稽古は本当にきつくて、目はチカチカして、頭がボー、としました。しかし、稽古が終わったときの開放感、充実感、大きな声を出して思い切り体を動かすことの気持ちよさ、帰ってから食べるご飯のおいしさ、そして稽古のたびに突きの打ち方、蹴りの打ち方を覚え、少しずつ強くなっていくことを実感して、空手の稽古が好きになりました。
最初の3、4年間は夢中でした。学生時代に部活をしてこなかった穴埋めをする気持ちと、体を動かす時期にサボっていた、自分への後悔の気持ちで一生懸命稽古しました。

しかし、そのうちに仕事も忙しくなり、また、彼女と遊んだり、友達と遊んだりしているうちに、なんだか空手で痛い、苦しい、怖い思いをわざわざ味わうことが億劫になってきました。あれだけ打ち込んだ空手から気持ちが離れていきました。
しばらく迷った末、退会届を提出しました。
あー、これでせいせいしたな、と思いました。
最初の数ヶ月は開放された気分でしたが、そのうち、何をしてもなんだか空々しくって、汗を流さない自分は所詮何にも無い、つまらない人間だった、と思うようになりました。
でも、辞めるって言ったのだから、別の何かを探そう、と思っているうちに空手の仲間の夢を見るようになりました。みんなが走っているところに出くわして、自分が隠れる夢でした。そんなころに太田先生から、もう一度やってみるつもりはないか、と声をかけていただきました。
暖かい気持ちが心に沁みました。うれしくて、もう一度やってみよう、と思いました。
少しだけ肩の力を抜いて、自然にがんばりたいと思いました。
生きている実感が楽しくて、緊張感を持たせるために、なるべく試合に出るように心がけました。
今回、先生から「審査を受けてもいいよ」、と言っていただいたとき、正直なところ、自信の無さと、審査の過酷さが怖くて、「次回にしようか…」とも思いました。
今はまだちょっと仕事が、家族が、と自分への言い訳を考えました。
でも、受けない言い訳はなんとでもある、でも受ける理由だってなんとでもつくぞ、やるなら今しかないな、と思い直して審査願を出しました。

 審査の当日は補強で足はパンパンになり、型では足が笑っていました。しかし、夢中でやっているうちに自分のなかで盛り上がってきて、気持ちよく型を行えたような気がしました。十人組み手は最後までやり通すことができるか、とても心配でした。
腰を落として、平常心で、肩に力を入れない、後ろには絶対に下がらないつもりでのぞみました。
特に苦しかったのは7人目を過ぎたあたりで、下突きや前蹴りなど効いてきたのに、腹筋に力も入らず、苦しくて、もういいや、と言いたくなりました。
しかし、十人組み手で相手をしていただいた先輩や仲間だって同じところを通ってきたのに、自分だけ逃げるわけにはいかない、と思ってこらえました。
空手のおかげで自分に自信が生まれました。こんなに一生懸命できる、と自分のことを少し好きになりました。
いろいろな人に出会いました。友人をつくりに道場に通っているわけでもないのに、空手を一生懸命やったら、知らないうちに良い友人がたくさん出来ました。

レポートの最後になりますが、今日まで指導していただいた太田先生、先輩や仲間、少年部の子どもたち、皆さんに勇気をもらいながら今日まで続けてくることができました。そして、今度は自分が誰かに勇気をあげることができるような黒帯になりたいと思います。 本当にありがとうございました。
出会いと経験は、人生の宝物だと痛感しました。

押 忍